人と動物のゆくえ
上野山 晃弘[うえのやま あきひろ]
「動物の視線のおだやかさからは、まだまだ自然の叡知が語りかけている。」
*自己利益を中心とする人間の生き方にとって、最も理解しがたい遠いものとは、他者の苦しみである。
欲望を肯定する生き方が強まれば強まるほど、他者の苦を認め、その存在のために身を低くして他者に仕えるという生き方は困難となる。そのような困難さのゆえに、愛を信じることができず、愛を背負うことを拒絶した人々が、ついにイエスを見棄て、十字架上での死へと追いやってしまったように、現代の自己利益中心主義は、世界への愛を忘れ、自然界を死の危機へと追いつめようとするに至った。
自然環境をはじめ、現代人が置かれている共同態の危機(家族や地域社会、国際社会まで至るコミュニティの機能不全)は、そのような愛の死を共通の根源としており、人間の享楽的な生き方に対する反省なしには、その病状は悪化の一途を辿るであろう。
現代の動物愛護の問題もまた、消費的なイメージによって商品化された動物に対する飼育放棄や虐待を背景としている。
近年のペットブームの中で、動物の存在は近くなると同時に遠くなった。孤独からの救済と癒しへの渇望が強まれば強まるほど、他なる存在としての動物の本性は覆い隠されてしまう。
私たち現代人は、動物たちの視線の奥に何を読み取り、その声から何を聴き届けることができるであろうか。
*『ショーペンハウアー全集』第5巻、白水社、1973年、270頁。
*自己利益を中心とする人間の生き方にとって、最も理解しがたい遠いものとは、他者の苦しみである。
欲望を肯定する生き方が強まれば強まるほど、他者の苦を認め、その存在のために身を低くして他者に仕えるという生き方は困難となる。そのような困難さのゆえに、愛を信じることができず、愛を背負うことを拒絶した人々が、ついにイエスを見棄て、十字架上での死へと追いやってしまったように、現代の自己利益中心主義は、世界への愛を忘れ、自然界を死の危機へと追いつめようとするに至った。
自然環境をはじめ、現代人が置かれている共同態の危機(家族や地域社会、国際社会まで至るコミュニティの機能不全)は、そのような愛の死を共通の根源としており、人間の享楽的な生き方に対する反省なしには、その病状は悪化の一途を辿るであろう。
現代の動物愛護の問題もまた、消費的なイメージによって商品化された動物に対する飼育放棄や虐待を背景としている。
近年のペットブームの中で、動物の存在は近くなると同時に遠くなった。孤独からの救済と癒しへの渇望が強まれば強まるほど、他なる存在としての動物の本性は覆い隠されてしまう。
私たち現代人は、動物たちの視線の奥に何を読み取り、その声から何を聴き届けることができるであろうか。
*『ショーペンハウアー全集』第5巻、白水社、1973年、270頁。
プロフィール
1976年生まれ。
2005年3月関西学院大学大学院総合政策研究科
博士課程後期課程満期退学、
2006年4月より日本大学文理学部哲学科助手。
著書
「消費社会の哲学」、齋藤智志・高橋陽一郎・板橋勇仁編
『ショーペンハウアー読本』、法政大学出版局、
2007年,pp.172-183 論文「中世キリスト教における倫理と動物
ーアッシジの聖フランチェスコとトマス・アクィナスー」
『ヒトと動物の関係学会誌』通巻17号、
ヒトと動物の関係学会、
2006年,pp.68-73
「ショーペンハウアーにおける動物愛護論
ー現代の動物愛護政策への倫理的視角ー」
『ショーペンハウアー研究』第9号、
日本ショーペンハウアー協会、
2004年 pp.82-100