星 の て が み

真 理 の「探 究 」?

稲垣 良典[いながき よしのり]

 
 
「真理の探究」は響きのよい言葉だが、私はひそかに疑問を感じている。
かつては「真理の観想」という美しい言葉があった。
しかし、近代になって「知識(サイエンス)」が「科学(サイエンス)」一色にぬりつぶされるようになると、「観想(テオリア)」、つまり、心を開いてひたすら見つめ(テオリア)
悦び、憩うことは一種の怠惰として、知の世界から追放された。
 
「知る」とは、労苦、努力そして有効な手だてをもって狙う獲物を手にすることで、
それが終わりなき「真理の探究」だ、というわけである。
 
私の疑問とは、このような「真理の探究」においては、
真理は人間のあくことを知らぬ所有欲の対象になってしまい、
その美しさや輝きのゆえに人間をひきつける「価値」としての真理は無視され、
忘却されているのではないか、というものである。
 
科学もふくめて、人間の知の営みは、より多くのものを「所有」することを目的とするものではない。
全世界を所有しても自らの「存在」が失われたら、それこそ空しいではないか。
 
  
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プロフィール

1928年 佐賀県に生まれる。

東京大学 文学部卒業、哲学・法哲学・キリスト教思想史専攻
アメリカ・カトリック大学大学院博士課程修了Ph.D.,文学博士、
プリンストン高等研究所において研究南山大学、九州大学、
福岡女学院大学教授を経て、
現在、長崎純心大学大学院教授九州大学名誉教授
 
[著書]
『習慣の哲学』(創文社)『抽象と直観』(創文社)
『神学的言語の研究』(創文社)『トマス・アクィナス』(講談社)
『天使論序説』(講談社)『知性としての精神』(共著・PHP研究所)
『聖書の言葉・詩歌の言葉』(共著・PHP研究所)
『人間文化基礎論』(九州大学出版会)など、他多数。

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